かわむら こども クリニック NEWS  平成10年8月号


親の心配

 今回は、親の心配について書いてみましょう。
 親というものは、子どもを心配するのは当たり前です。何を隠そう小生も、大学生の娘や中学生の息子を心配することもあります。うちの子供たちはもう大きいので、心の中では「余計な心配をして」と、きっと思っているに違いありません。それでも親というものは心配するものです。しかし客観的に見ると、やはり余計な心配もあるのです。「余計な心配をして」と言えない小さな子どもの場合は、どう考えてあげたらよいのでしょうか。
 心配というのは経験によって、変わってきます。初めてのお子さんの場合には鼻水が出ただけで心配したくせに、2番目3番目になると鼻水だけでは心配しなくなるものです。他の症状でも同じで熱性けいれんの時など、初めての場合は親がひきつけそうになるほど心配するのですが、なれてくれば「夕べひきつけちゃいました」とあっさり言ってしまうのです。これらは経験による学習のたまものです。
 初めてのお子さんが病気になって色々な症状を示しお母さん方が心配することは、一つ一つが勉強と考えるといいかもしれません。突発性発疹症を例えにして、神様が与ええてくれた教科書とも言われることがあります。こんな経験を積んで、お母さん達の心配が少なくなっていくのです。
 さて心配性の親と楽天家の親、どっちが子どもにとっていいのでしょう。子どもにとっては心配性の親の方が、間違いが少ないかも知れません。熱と咳が出れば肺炎を心配し病院へ連れて来てただの風邪というほうが、風邪だと安心していて肺炎だったということより、子どもにとっての負担も少なく許されることだと思います。しかしいつまでも心配性では、学習の効果というものがありません。病気に限らず経験は、やはり学習効果が上がっていかなければ、無駄になってしまいます。一つ一つが勉強で、それで人間は進歩していくものなのです。
 でも子どもに「余計な心配をして」と、言われないようにしなければなりません。まして言葉や表現が出来ないこの場合には、その気持ちを親が読み取ってあげる必要があります。心配性のお母さんは、どんなときにも子どもの栄養を心配します。高い熱が続いても下痢や嘔吐がひどくても、子どもというものは腹いっぱい(ちょっと大げさですが)食べないといけないと思っています。確かに熱の高い時には、誰でもが食欲がなくなるのは当たり前です。自分が熱があれば食べられないのに、子どもにだけは食べなければならないとと思ってしまうのです。牛乳を飲ませて下痢が直らないと言っているお母さんも、同じことです。同時に二つの心配を満足しようとしているのです。その心配のため無理やり食べさせられるられる子どもの気持ちはどうでしょう。ひょっとしたらこれも虐待のうちに入るかも知れません。二兎を追うものは一兎も得ずの諺どおり、結局どちらかを優先するしかないのです。心配性のお母さんはそのことが見えてこないのです。
 理想的なお母さんのタイプは、始めは心配性でいいのです。でも経験を積んで学習していき、早く楽天家のお母さんになるよう努力しましょう。そのほうがお母さんのストレスが少なくなり、結果的にお子さんも伸び伸びと育つに違いありません。子育てを楽しむには、早くお楽天家になれるかどうかではないでしょうか。
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