かわむら こども クリニック NEWS  平成10年6月号


「外来で気づいたこと6」を読んで

 先月号に記事に関しての手紙を頂いたので、一部省略(勝手に)して紹介します。

 佐藤 利子

 58号の「外来で気付いたこと6」のお話、大変共感し、恐縮しております。私も短い期間でありましたが教育の仕事に携わり、伸びゆく子供たちへの接し方に考えることがたくさんありました。子どもを苗として例えるなら、周囲の大人は苗に適度な水、肥料(土)を与えてやるだけで、太陽に向かって自然と育っていくものだという話を聞いたことがあります。余分な手を加えると、弱々しく育ち、根を腐らせ、しまいには枯れさせてしまうこともあるのです。その草木となる苗同様、子供というものは、本来自らの力で成長する力を持っているものです。その力を私たち大人が身勝手に弱らせ、芽を摘んでいることはないでしょうか。
 この世に性をもって1年半しか立っていない我が子を見ていて、感動することがたくさんあります。ぎこちない動作ではありますが、一人でスプーンやフォークを持って食事し、くつ下をはき、小さな足で一人でしっかり歩こうとしているではありませんか。大人の話もだいぶ理解し、また数少ない言語で自分の気持ちを表現しようと必至に話しています。(思いが伝わらないと、目に涙を溜めて、悔しそうな顔さえするんですよ)常に一緒にいる者にとっては、時にはじれったさやイラだちを感じることもありますが、そこは忍耐の一言。主人と二人でぐっとこらえる毎日です。これを我が家では「見守っている」という意味で解釈しておりますので、決して放任のつもりはありません!。ただ親になってつくづく感じるのは、話が前に戻るのですがその水加減が難しいということです。適度にということは、はっきり分量が決まっていないということで、、つまり子ども一人ひとりによって親のかかわり方…、その子にあった接し方があるということです。水をたくさん必要とする子、支柱の必要な子もいるのです。

泰楽 栄里子

 クリニックNEWSをいただく1週間程度前に‘AERA’という雑誌で「いい母親の過干渉の罪」という記事を読んでいたこともあり、いろいろと子育てのことを考えていたときの先生のお話だったので、とても興味深く新聞を拝見いたしました。
私自身、専業主婦をしているので、子どもに目が届きすぎる事もあり、かなりべったりと毎日を過ごしています。とにかくよく毎日子どもと遊んでいます。生後1年が過ぎ、歩き始めたころ公園へ行くと、そこには様々な子供と母親がいました。子供にとても厳しいお母さんや、だめよだめよと子供に言っているお母さんを見て、私は子供に甘すぎるのかしら…と不安になったのもこの頃でした。育児書などにも目を通していましたが、本当に理解できたのは最近のことのように思います。
・可愛がることと、甘やかすことは違うこと!
・個性と、野生とは違うこと!
・自由にさせることと、放任するのは違うこと!、などなど…。
 分かり始めたころには、弘隆ももう2歳を過ぎていたので、この2年半は子供と一緒に、いろいろ学んできたように思います。
 姉の子供はもう小学校の6年生と4年生ですが、姉から登校拒否の子供達のことや、最近では神戸の事件を真似てへんな手紙が机の中に入っていることもあると聞くと、この先この育て方でいいのかしらと不安なこともあります。
 ただ今は、3才までのお母さんが子供の心の基地になる一番大切なときなので、第1に愛情をもって接し、親がこういう子に育てたいと自分の理想を押しつけるのではなく、弘隆が持っているよいところを伸ばしてあげたいと思っています。
 が…、私もすぐ感情的になりやすいし、弘隆も私によく似ていて感情の起伏が激しいので、2人でとても仲良く遊んでいたり、意地っ張りになったり、泣いたりと理想と現実のギャップはかなりあるんですが…。
 子育ては難しいことや不安なことも多くありますが、でもやっぱり子供がいる生活はとっても楽しく、感動することが多いです。


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