かわむら こども クリニック NEWS  平成10年5月号


外来で気付いたこと−6

 またまた「外来で気付いたこと6」、としてお話してみましょう。
 小学校に入ると、自分のことは自分でできなければなりません。これもしつけが大切と考えて、診察の時に「どうしたのと?」本人に聞きます。するとどうでしょう。ほとんどのお母さんは、子どもが話そうとしているのに、それを遮るように話し始めるのです。小生も時にむっとして「お母さんに聞いていませんよ」と、反論してしまいます。そしてこんな子供たちの多くは、話をする相手(小生)ではなく、お母さんの顔をを見ながら話すです。
 これは、なぜなのでしょう?。おそらく赤ちゃんのうちから、子どもが可愛くて可愛く大切に育ててきたのでしょう。子どもが望むことを親が先回りして判断し、いろいろなことをしてあげていたはずです。これが続くと今度は、子どもがお母さんを必要以上に頼りすぎる関係が出来てしまったのに違いありません。今は少子化の時代です。子どもの数が少なければ、親と子どもの接触が濃厚になり、甘やかしすぎたり過干渉になったすることは仕方がないことかもしれません。放任や断絶と比べれば、まだこちらの方がましだとは思っています。しかしそれも年齢によります。まず歩行をし断乳をすることによって、独り立ちの第一歩が始まります。まして幼稚園に入り社会との関係を学び、一般的に独り立ちと言えるのは義務教育が始まる頃です。この時期までには、独り立ちできるようにしていかなければなりません。
 こういう子どもが、親の対応が同じまま成長したらどうなるのでしょう。教育委員会の仕事で大学の先生と話す機会がありました。先生いわく「今は大学生も同じで、話を聞くと親の顔を見ながら話す人もいるんです」。また最近の若い人は、「言われた仕事はきちんとできるが、自らの発想ですることはかなり苦手だ」という話も聞きます。これも小さい頃の親の接し方が、大人になってからも影響しているのかもしれません。最近は青少年の犯罪が増加し、問題になっています。皆さんもいろいろなニュースで報道されるので、身近に感じているかもしれません。その犯罪の原因のすべてではありませんが、同じように幼児期の親対応の仕方や体験が関係していると考えられています。
 こう考えてしまうと子育てとは大変なことだと気付かれたことでしょう。実際子育てに限らず、人は誰でも今を見て、今を感じて生きています。これから先のことに思いをはせるなどということは、現在の子育ての不安や心配と比べると、無理なことは百も承知です。子育ての結果はずっと先に証明されるものです。小生も子育ての評論家も、自分の子育てについて自信をもって答えることは難しいものです。また「個性とはしつけとは」で書いたように、子育てにも意識的な部分と無意識の部分があるわけです。つまり子育てという言葉の中には、子育ての部分と子育ちの部分があるということです。そういう二つの部分を上手にコントロールして子育てをしていくということは、かなり難しいことです。結果は今でない、難しいとなると、子育てを放棄したい気分になるかもしれません。しかし待ってください。子どもを作った以上、このことは当然覚悟があったはずです。小生が言いたいのは、育児書を含めこういう話、ほかのお母さんの経験談、おじいちゃんやおばあちゃんの話に触れることが大切なことです。話や経験の中から自分で一つの方法論をもって子育てをすること、それが大切なことです。「三つ子の魂百までも」という言葉があります。こんな言葉も覚えておきましょう。
 要は親御さん達も勉強(学習とは違います)し、今だけでなく将来を見据えて自信をもって子どもに接してあげてください。
クリニック NEWS コーナーに戻る