かわむら こども クリニック NEWS  平成5年8月号


新生児医療の進歩 (1)

 長年携わってきた新生児医療について話して見ましょう。
小生が新生児医療と初めてであったのは、今からもう15年も前のことになります。仙台市内の総合病院で研修中に、内地留学の形で、国立小児病院の新生児科に行ったのが始まりでした。
 その頃はまだ、新生児学が独立していなく、小児科学の一領域として考えられていました。1000gよりも小さい、超未熟児と呼ばれる赤ちゃんたちも、10人の内3〜4人ぐらいしか助けられず、そのうち半数近くが後遺症を残すという時代でした。そんな中にあって、国立小児病院の新生児科は、一つの科として独立し、トップの成績を示していました。小児病院での最初の1ヶ月は、住むところも決まっていず、病棟内に寝泊りをしていた記憶が、今も鮮明に思い出されます。
 その後は、仙台赤十字病院周産期センターから日立製作所日立総合病院の新生児集中治療室の開設のため、住み慣れた仙台を離れ、日立に赴任しました。新生児集中治療室の設計、機器の購入等全て任され、昭和61年7月には新生児集中治療室が開設され、初代主任医長となりました。
 話が横道にそれましたが、ここ十年で、新生児医療も大きく変わり、皆さんもNHK等でも報道されたように、4つ子、5つ子も、生存できるようになりました。
 最近の日立総合病院新生児集中治療室の成績では、1000g未満の超未熟児の生存率は、85%を越えるようになりました。最も小さい赤ちゃんは、在胎23週1日(つまり予定日から4カ月と1週間もはやく)で579gでした。想像することは、なかなか困難だと思いますが、ちょうど大人の両手のひらに乗るぐらいと考えてください。大人の指よりその子の腕の方が細いぐらいです。そんな小さな赤ちゃんに呼吸するためのビニールの2mmの管を入れ、糸のような血管に点滴を入れるのです。そして呼吸を助けるために人工呼吸器を装着し、保育気に収容し、医者と看護婦さんが付きっきりで治療するのです。
 ちょっとした体の動きで、全身紫色になったり、息を休んでしまい心臓の鼓動が遅くなったり、周りは赤ちゃんがおちつくまで一時も気が抜けません。小さい赤ちゃん達は何も言わないため、動きや、状態により判断し治療しなければなりません。そして何より大切なのは、目の前のものも言わぬ赤ちゃん達を人間として、思いやりをもって扱い、そのことが赤ちゃん達の将来に結び付いていることを考えることです。そう考えるようになって、小さな赤ちゃんの後遺症も減少してきたのです。その証として、仙台にいた頃に見ていた、576gの赤ちゃんが今では、小学校3年生になり、元気に学校へ通っています。
 もう一度成績の方に戻りますが、現在では在胎28週(予定日より3カ月はやい)で1000gあれば元気に育つ可能性が、かなり高いと考えてください。
CLINIC NEWS コーナーに戻る