かわむら こども クリニック NEWS  平成18年12月号


いじめ問題を考える

 最近、いじめが原因となる子どもたちの自殺が続いています。従来、教育現場はいじめを認めたがらない傾向がありました。しかし、教育関係者の対応の問題などから、ここにきて学校(もちろん教育委員会や文部科学省) もいじめを認めるようになりました。

 子どもたちの死亡の原因には様々な理由があります。2006年9月号の「リスクマネジメント」でも触れましたが、1〜14歳では病気より不慮の事故で死亡する子どもが多いのです。不慮の事故は予防可能と考えることが重要で、防止対策が必要と書きました。子どもたちの自殺は多いものではありませんが、予防可能であると言うよりもこれこそ防止しなければならないことなのです。そして自殺は子どもにとっても親にとっても、そして社会にとっても非常に痛ましい出来事なのです。

 首相直属の教育再生会議では、「いじめ問題への緊急提言」を発表しました。「相次ぐいじめによる自殺を受け、いじめをした子どもに対する指導、懲戒の基準を明確にし、社会奉仕や別教室での教育など「毅然とした対応」を取るよう、学校に求めた。「いじめを見て見ぬふりをする者も加害者」との指導を学校が子どもに徹底することも促し、いじめに加担するだけでなく放置・助長した教員も懲戒処分の対象とすることを明記した(毎日新聞)。」

 子どもたちに「いじめは悪いこと」と聞くと、悪いこと答えます。いじめが悪いことは、誰でも知っているのです。悪いことだと知っているのに、どうしていじめてしまうのでしょうか。人の心の中には、ストレス、欲求不満、劣等感など様々な意識が渦巻いています。心の中にある問題を解決する方法のひとつとして、いじめという行動が生まれると考えられています。自分でも悪いと知りながらいじめていることを無意識に隠すために、今度はいじめている相手を「いじめられて当然」と思い込んでしまうのです。人には様々な個性があることを認めず、皆と違うという理由だけでいじめられていることが多々あるのです。また、いじめは一人だけでなく、まわりにいる子どもたちも巻き込みます。その子どもたちも「いじめは悪いこと」を理解しているのですが、自分がいじめられるかもしれないという思いから、同じように「いじめられて当然」となる訳です。いじめられている子も、次第に自分はいじめられても仕方がないと思うようになり、そのことがいじめに拍車がかかるという悪循環を形成してしまいます。集団の中で孤立することは、とても辛いことです。見て見ぬふりをしているクラスメートや先生の対応も、ますます孤独に拍車をかけ、本当に独りぼっちと考えてしまうようになり、時には自らの命を絶つという行動に結びつくのです。親に話しても無駄、仕返しが怖いということだけでなく、助けを求めることによってかえって自分が惨めになることから、まわりに助けを求めようとしないのです。

 いじめる側といじめられる側では、当然いじめる側が悪いのです。新聞を読んでいる親御さんの多くは、まだまだいじめとは縁遠い年齢です。しかし、将来的に、どちら側にも立たせたくないと思っているはずです。いじめは学校で起る問題ですが、その解決法はむしろ学校ではなく家庭にあると思っています。今までCLINIC NEWSには様々なことを書き、子どもは親の影響を大きく受けていること、子どもの心(とくに核となる部分)を育てる基本は家庭にあることを伝えてきました。親自信が様々な個性を持った人たちを認めるという姿を見せることも大切です。また、子ども達の心を強く育て、心の耐性を高めてあげることが重要なことだと考えています。そして、子どもの最後のより所は、学校でも社会でもなく、親であり家庭なのです。何かあれば、聞いてくれて守ってくれるのがお父さんやお母さんということを、今のうちから伝え続けてください。そして日頃から、お子さんとのコミュニケーションを大切にしてください。人と人とのコミュニケーションは多くのことを解決してくれるし、多くの問題を起こさないで済むものです。医療の世界も同じで、大切なことはコミュニケーションにつきるのです。

 いじめを無くす方法がわかれば簡単ですが、なかなか困難です。いろいろな考えがありますが、紹介したら一冊の本になってしまいます。いじめに遭う年齢でなくても将来いじめる側いじめられる側にならないよう、親子のコミュニケーションについても考えてみましょう。



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