かわむら こども クリニック NEWS  平成21年 3月号


常識!?非常識?1

 今回は診療場面のエピソードから、常識について考えてみたいと思います。
 休日当番の日、初診の患者さんが来ました。2日前に3歳のお姉ちゃんがインフルエンザの確定診断を受け、1歳過ぎの弟さんが熱が出てきたという訴えでした。家族にインフルエンザがいて、潜伏期1〜2日後にきょうだいが発熱ということなので、弟さんはインフルエンザの可能性が高いと説明しました。インフルエンザの検査は痛みを伴うので、臨床診断でよいのではと話しました。病気の診断には必ずしも検査が必要ではなく、警察ではないのですが状況証拠から診断をしてもいいと思っています。ところが、どうしても検査をしたいと言うので、「例えばきょうだいが10人いたら10回検査はしないでしょう」などと、例を挙げて説明しました。周囲の状況や症状から診断するのが、医師の役割で、検査が第一なら医師はいらない等とも説明し、このような状況でインフルエンザと診断するのは我々としては、常識と伝えました。親御さんはどうしても検査したいようで、「検査もしないでインフルエンザと診断する医師の常識の根拠はどこにある。私たちの常識ではない。」と、非常に不満げに反論しました。争っても仕方ないと考え、インフルエンザの検査をしました。当然のことながら、インフルエンザの検査は陽性でした。これで我々の常識が証明された訳です。普通なら検査結果で納得するはずなのですが、親御さんは納得しません。そして、陽性の結果を目の前にしながら「検査が陰性だったらどうする」と始りました。確かにタミフルに神経質になっていて、インフルエンザではないのに処方されることを不安に思ったのでしょう。でも我々からみると、検査が陽性なのに「陰性だったら」というのは、どうも常識的ではありません。他人の常識を否定するのであれば、自分が常識を示すしかないと思います。揚げ句の果てに、「検査の仕方が乱暴だ」、看護師に向かって「こんな医者にはついていけないでしょう」の捨てぜりふ。あきれて、ものが言えませんでした。
 我々の仕事は、すべて患者さんのためものです。患者さんに負担をかけず、正確に診断し、適切な治療を行うというのが基本です。最近、よく「病気を診ずして、病人を診よ」とかという言葉を耳にします。この意味は病気だけを診るのではなく、患者さんのおかれた立場や環境、そして検査や治療の意味を考えて、病気を持っている人をケアしながら診るべきというものです。親御さんの自己的な満足より、子どもの辛さを考えてあげることも重要なことであり、まさにこの言葉の目指すものと思います。
 最近、いい医者の定義が変わってきたのかと思ってしまうことがあります。一部の患者さんですが、「自分と同じ考えをしてくれるのが、いい医者の条件」と思っている人がいます。今はネットで情報が溢れ、孤立化で昔の知恵が伝わらず、少子化で不安が強くなっています。そんな状況で、自分の子どもの病名、検査、治療を、受診前に既に決めてくる親御さんがいます。その判断を受け入れてくれるのがいい医者で、受け入れてくれないのが悪い医者ということになってしまいます。それが例え、医学の常識であっても。そして悪い医者の判断やアドバイスを受け入れることを拒んでしまいます。それが例え、子どもに負担や悪影響を与えるものであっても。医学的に必要があっても無くても、望む検査をしてくれ、欲しい薬を出してくれ、親が付けた診断をしてくれる、そんな医者がいい医者である訳はありません。症状、経過、診察から判断し、最低限必要な検査をし、最低限の薬を処方し、病歴と診察に基づきしっかりした診断をするのが、よい医者の条件です。
 同じような常識・非常識の話には、きりがありません。“下痢をしているのに、牛乳を与える” “耳を触っているから、中耳炎” “湿疹は、すべてアトピー”、“熱があるから、抗生物質”など。何とか、ならないでしょうか。幸いかかりつけの多くの親御さんは、もちろん常識を持ち合わせています。大事なことは、専門家に任せるということ。その背景のもっとも重要な要素はコミュニケーションであり、信頼です。そのため当院では「お母さんの不安・心配の解消」を理念に様々な活動をしているのです。当然ながら小児科医は、子どもの病気の専門家です。良くコミュニケーションをとり、そして信頼し、病気に関しては小児科医に任せることが重要だと思います。

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