かわむら こども クリニック NEWS  平成16年 10月号


今 プロ野球が面白い!

 今回は医学的なことから離れて、野球の話をしたいと思います。
自分と野球の出会いは小学3年生位でした。今のリトルリーグの前身で、少年野球大会というのがありました。はじめて大会に出たのが、4年生。その当時はかなり身体が小さかった(今でもですが)ので、打順は一番でした。どうして小さいのが一番かというと、お気づきの方もいると思いますが、フォアボールを選びやすかったという理由からです。どうも今考えると、淋しい選手起用だったようです。その頃はクラスで一番小さく、可哀想なほどのがりがりの痩せっぽちでした。今の風格ある(?)体格とは、まるで別人のようでした。少年野球大会は6年生までの大会でしたが、我々は同級生の集まりで全員4年生だけで戦いました。結果はどうだったかと思い出してみましょう。何しろ今から40年以上前ですから記憶は定かではありません。しかし、覚えていることが2つあります。当時の守備はセカンドでした。器用さはあってグラブさばきはなかなかのものでしたが、何分肩も弱かったためセカンドという選択しかありませんでした。少し高めのフライが上がりました。はじめての試合で緊張したせいもあって、少し目測を誤ってしまいました。フライはキャッチできたのですが、バランスを崩して後ろに倒れてしまいました。駆け寄ってきた皆の心配そうな顔が、今でも思い出されます。もう一つは表彰式、手ぬぐいをもらったことが鮮明に思い出されます。手ぬぐい(これがタオルでない所がリアルですが)だったので、恐らく参加賞だったのでしょう。こんな野球少年だったことが、懐かしく思い出されます。悪い思い出(特にないのですが)のせいか、その後の野球人生はありませんでした。もっぱら野球観戦(もちろんテレビですが)ですが、経験もあり大変興味があるスポーツの一つです。
 さて最近の話題のNo.1は、何といってもイチローでしょう。野球通ということで、イチロー選手の経歴を少し紹介しましょう。本名は、御存知のように鈴木一朗です。愛知県生まれで、31才、誕生日は10月22日(自分は10月2日でどこか共通:ちょっと関係ないか)です。高校は野球で有名な愛工大名電高で、2年生と3年生で2回甲子園に出場しています。オリックス・ブルーウエーブにドラフト4位で指名され、92年に入団。94年に鈴木一朗から登録名をイチローに変えて、快進撃が始まりました。日本での記録も素晴らしく、数え上げたらきりがありません。もっとも素晴らしいことは94年から00年まで7年連続首位打者という偉業です。日本でのシーズン最多安打は210で、これも未だに破られていません。その後は大リーグのマリナーズに移籍し現在に至っています。大リーグへ移籍前には、日本のプロ野球関係者は、イチローは大リーグでは通用しないという意見が大半でした。しかし予想とは異なり、入団1年目でも234安打の新人安打記録を作りました。アメリカでは、内野安打の多さから評価は充分ではないばかりか、否定的な意見も多くあったようです。この頃はアメリカの野球のパワーだけが強調され、バリー・ボンズがシーズン最多の73本のホームランで盛り上がっていた頃です。しかし、控えめで目立たないイチローも着実に、その存在を示し続けていたのです。3年連続のシーズン200安打、それが今年になって大リーグ記録を抜こうとしているのです。10月1日にはシーズン最多安打の大リーグ記録を84年ぶりに塗り替えました。この大リーグ記録を塗り替えるためには、大きな努力があったことでしょう。
 我々凡人には考えられないプレッシャーと戦う強い精神力、それを裏付ける努力によって固められた自信、これがイチローの大きな魅力の一つです。物静かで冷静に自分を見つめているような、そんな印象をインタビューで感じたのは自分だけではないはずです。我々も大きなことはできないけれど、見習って行きたいものだと思いました。
日本のプロ野球にも大きな動きがあり、仙台も注目になっています。ライブドアか楽天なのか、興味のある所です。この話題は、何れ機会がある時にでも。どちらにしても、日本のプロ野球も発展してもらいたいものです。

クリニック NEWS コーナーに戻る