2月20日で、かわむらこどもクリニックが、お陰様で20年を迎えることが出来ました。
思い起こせば、今から20年前(1993年)に、当院は開業しました。“この木、何の木...”日立総合病院で新生児集中治療室を立ち上げ、がむしゃらに働きました。開業医の父の死後4年で、日立市長の感謝状を胸に、落下傘のように突然仙台に戻り開業しました。地元の病院との繋がりも無いため、開業当初はやっていけるのか不安な日々でした。
新生児医療の経験、母親の喜びと悲しみの涙で育てられたことから生まれた開業理念「お母さんの不安・心配の解消」を掲げ、理念倒れにならないようにする毎日でした。理念を基にして診療に当たることは当然ですが、様々な子育て支援活動に取り組んできました。
最初の取組みは「クリニックNEWS」(1993年)で、蓄積した情報とインターネットの普及により、1996年「かわむらこどもクリニックHOMEPAGE」を開設、珍しさ(日本ではじめての保護者向けのHP)もあり、次々メディアで評価され潮の流れに乗ったような勢いでアクセス数が増え、「小児科老舗HP」と称されるようになりました。その後、理念の展開とインターネットの双方向性という観点から医療相談を開始しました。当時は医療相談自体も珍しかったのも手伝い、相談数もうなぎ登りで眠れない夜が続いたのも、今では懐かしい思い出です。1998年からは育児サークル『お母さんクラブ』開催し、クリスマス会など無邪気な時間を共有することもできました。2000年から患者さん専用アドレスを設定し、患者さんの感謝や熱い思いに触れることができる喜びも得ることができました。
かかりつけの患者さんとの関わり合いから生まれた心地よさは、さらなる理念の展開として医学生教育、学校医活動まで手を広げるモチベーションの源となりました。新たな活動から更なるモチベーションが生まれ、育児情報誌(愛知、奈良)の連載のみならず、ブログ「こどもクリニック四方山話」、YouTube、Mail news、FaceBookページ等の新しいメディアを用いた情報発信にも取り組み続けています。
クリニックNEWSをはじめとした情報発信は、何度も途中で挫折しそうになりました。しかしながら、NEWS読者の“毎号楽しみにしています”、医療相談の“助かりました...”、かかりつけメールでの“ありがとう”、そして顔も知らないHP、ブログのサポーターなど、ほんとうに多くの人たちに支えられてきました。 多くの方々の応援以外に、対外的な評価も継続するための原動力になりました。
最も大きな評価は、平成23年度「子ども若者育成・子育て支援功労者表彰」です。多くの方々はご存知のように、開業後継続してきた子育て支援活動が高い評価を得て、平成23年11月総理官邸に招かれ蓮舫内閣府特命担当大臣から手渡しで表彰状を頂きました。何度も紹介していますが、蓮法大臣とのツーショットは、野田総理を囲んだ集合写真より大事な宝物となりました。
さらには、平成23年1月に新型インフルエンザの研究、仙台小児科医会長としてのワクチン普及への貢献との理由で「仙台市医師会学術奨励賞」を受賞いたしました。加えて平成24年4月からは、東北大学医学部小児科臨床教授の称号を頂いています。このような外部からの評価もまた、継続する力の原動力です。
仙台小児科医会としての仕事も忘れることはできません。平成22年4月から会長に就任し、市民に見える小児科医の活動を目指してきました。ワクチンの重要性を認識して、署名活動を行い仙台市に対して髄膜炎関連ワクチン助成要望書を奥山市長に手渡しました。さらには市民、行政を巻き込んでの市民公開講座を開催し、平成23年2月から政令指定都市では最も早い助成が実現できました。その原点は、会長就任時に市役所に出向いて担当者からレクチャーを受けたことから始まりました。担当者とのお互いを理解しての密な連携が功を奏し、平成25年度の水痘・おたふくワクチン公費助成を獲得することができました。
忘れることが出来ないのは、平成23年3月11日の東日本大震災です。患者さんの安心のためクリニックの早期再開、さらに情報の重要性からMail News等地震直後から発信しました。より早く放射性物質の情報を提供して、多くの患者さんから安心の声を頂いたことは忘れられません。
平成22年に発行した200号記念紙にも書きましたが、「継続は力なり」です。20年間続けられたのは、院長個人の力だけではなく、スタッフ、家族、そして多くの人たちに支えられたお陰です。今回も、多くのお母さんから投稿をいただきました。本当に、ありがとうございます。
これからも、もうひと踏ん張りしたいと思っています。
子育て支援功労者表彰(総理大臣官邸) |
20周年 ありがとうございます |
髄膜炎関連ワクチン要望書提出(奥山市長) |